ようつべのクソコメントから学ぶ、「ポジティブ」発信のススメ

  はじめましての方ははじめまして、そうでない方はいつもお世話になっております。よひらです。
 周りが続々とブログデビューしているのに触発されて、私も一筆取ってみたいなーなどと軽率に考えたものの、うーん、中々これが難しい。何を書いてよいのやら。
悩みながらぼーっと動画を見ていたところ、こんなコメントと遭遇しました。

「〇〇してるのって、俺だけ???」

 よくありがちなコメントですが、個人的に「おう、鬱陶しいな!」と思ってしまうヤツです。仮にお前だけだったとして何なのか。

 しかし、よく考えてみると、この方式のコメントは随分と理に適っています。というのも、このコメント、否定しても肯定しても本人は良い気持ちが出来るという超高性能な代物なのです。
 人間というものは肯定されると喜び、否定されると悲しくなる生き物です。ですから、何かしら意思を表明するときはふつう心の底で「否定してくれるな………。」と思う訳です。

 さて、先のコメントを肯定してみると、主張通り、彼だけがそれを好きだということになります。自分だけがそれを好きでいられるという「特別感」によって彼は満たされることが出来るのです。
 では、否定してみるとどうなるでしょうか?題の否定は「〇〇しているのはあなただけではない。」ということになります。一見すると、これはネガティブな感情を呼び起こすことになりそうですが、これをより詳しく言い換えてみると、「〇〇しているのはあなただけではなく、私(あるいは、それに類する他者)もそう。」ということになります。するとどうでしょう、コメント主は「共感」を享受することによって満たされることが出来るのです。

 ここまでで先のコメントがいかに理に適っているか、ということは伝わったのではないかと思います。いやしかし、こんなコメントばかりをするのはなんとも見苦しいのではないか?とお思いの方もいらっしゃると思います。そりゃそうだ。ツイートを上から見て「この曲知ってるの私だけ?」「この問題解けるの私だけ?」「これクリア出来るの私だけ?」みたいなのが羅列されていたら、おう……となること必至でしょう。加えて言うと、この類のコメントには弱点があります。それは「孤独感」への対策がなされていないことです。そもそもこのコメントは疑問系であるが故に相手を必要とします。すると、相手をされなかったときに無視をされた、すなわち「孤独感」を得て、満たされなかったと感じるのです。なんならそれ以前に「構ってちゃん感」が拭えない気もします。あんまし印象良いとは言えませんもんね。

 では、日常においてこの「術」の良い部分を適応するにはどうすれば良いのでしょうか?簡単な答えは「これ好き!」「これ出来る!」など、「ポジティブな事柄」を一方的に発信することです。先にも述べたように、ポジティブな事柄は肯定しても否定しても特別感または共感を満たすという効能を持っています。「これ好き!」「これ出来る!」を肯定すれば共感を、否定すれば自分だけが好きと感じれるという特別感(あるいは自分だけが出来る優越感)を。また、一方的であるがゆえに、情報の取捨選択を他者に委ねることが出来ます。先のクソコメントと違い、相手に返答を要求しないため、反応への心理ハードルが低く、また、反応する人間は「その事柄に興味がある」ということが担保されているので、自分にとって都合のいい相手を探し出すのにも一役買う、ということになります。SNSには「いいね」や「高評価」など、情報の受け取り手が気軽に共感を表明できるものが多いのもこのスタイルには追い風です。どうでしょう、こう見るといかにポジティブな事柄を発信することが理に適っているかということが伝わったでしょうか。
 あるいは、「否定のしようがないこと」を発信することも効果的です。具体的にはラーメンを美味しかったという、昔やっていたゲームを懐かしむ、などが良いでしょう。これらの「美味しかった」あるいは「懐かしいと感じた」というものは主観以外で判断し得ないものであるため、どうあがいても「共感」や「羨望」のような反応以外出来ないのです。そうすると……、自分は延々と良い気持ちだけができる。という寸法ですね。なるほど便利だ。

 

 大雑把に今回のまとめです。

・人間は「共感」や「特別感」などによって満たされる。

・発信する際は、相手がどう反応しても自分が満たされる ような「都合のいい発信の仕方」を使うと良い

・「都合のいい発信の仕方」は色々あるが、基本何かへの 好意を表明しておけばよい

 

 これは余談ですが、なにかに強烈にハマっている人、通称「限界オタク」と呼ばれる人類はこれを見事に満たしています。ので、私は限界オタクを見ているのが割と好きです。幸せそうだし。

 

 という訳で、初回は「ポジティブ」な発信をすることがいかに自分自身にとってお役立ちなのかを述べました。とはいえ、「そんなにポジティブになれなーよ!」と思われる方もいらっしゃると思います。ので、次回は「ネガティブ」であることの素晴らしさについて述べてみたいと思います。やる気次第ですが乞うご期待の程を。ここまで読んでいただきありがとうございました。